絹路文通 - 第一巻:ルソーから学ぶ「対話」
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かつて東西を結び、人類を大きく進展させたシルクロードを現代に蘇らせよう、という企画「絹路文通 (けんろぶんつう) 」。
今回は 18 世紀の西洋から「エミール」を輸入した。
ルソーといえば、「社会契約論」で有名なフランスの哲学者ですが、エミールというのはそれを支えるルソーの教育論が記された書籍です。
社会契約なんて言われると、個々が形成する小さな世界とは縁のない、パブリックな世界のあり方の話だろうと思ってしまいがちですが、ルソーの思想や社会の捉え方は、全くそんなことはなかったです。
彼の主張を、すごく端的にまとめます。 (興味がなければ「対話の大切さ」まで読み飛ばしても大丈夫)
自由な社会を形成するには、法律は個々人にとって利益があるものでなければならない。そのためには、「みんなのため」 = 「自分を含むみんなの利益」を考えられる人間でなければならない。
じゃあそういった人間を育てるにはどうすればいいの?という課題に対する、ルソーなりの解答をまとめたものが、エミールです。
対話の大切さ
お互いの都合を持ち寄って、自分にもあなたにも利益があるような落とし所、ルールを見つける。
これは遠い社会のお話ではなくて、友人や恋人や家族との関わりにおいて、重要なことではないか、というのがこの記事で一番伝えたいことです。
もちろん「対話」はエネルギーがいる営みなので、常に行う必要はないし、「対話」が必要ないということは、それだけ関係がうまくいっているということです。
ただ、一方が背負いすぎたり、鬱憤を溜め込んだり、殻に篭りすぎたりしているときには「対話」が必要です。
自由な人間になるためには、自分の感覚や感情や欲求 (= 自然) を自分のものとして自覚できることが重要で、そのためには「承認と応答の関係」が必須である。
きちんとした「承認」と「応答」を行わなければ、感覚がちゃんと分化していかず、自分という存在の主体的な核ともいうべき感情や欲求が自覚できなくなってしまう
エミールはあくまで教育論なので、具体的な対話手法などの提示はありません。
ただ、「対話」の意義や必要性を納得できないと、ちゃんとした「対話」はできないし、そもそも「対話」が必要なタイミングすらも分からず、関係が壊れていったりする。その点で読む価値は大いにありますし、学びも多いです。
たとえ大人であっても、私たちは日々誰かとの関係性の中で悩んだり、自他を未熟に思ったりするものです。
また、たとえ恋仲であっても、恋人は自分のものではないし、自分は恋人ものでもなく自分のものです。お互いが自立することも一つ重要なことではないかと私は思います。
人間は赤ん坊のときから快を求めて不快を避けようとする。…自分に快を与えてくれる人、自分に優しくしてくれる人に愛着をもつようになるのは、当然である。
赤ちゃんから大人になるまでの各過程における教育論 = ルソーの哲学は、そういった自他の不足や自立とは何かを改めて認識でき、自分を見つめ直すことを促してくれます。
弱さや苦しみに対する共感が人と人を結びつけ、お互いに助け合う気持ちを生み、弱さから幸福が生まれる。
「あわれむ」ということのなかには、他人の不幸を悲しみながらも「自分に力がある」と感ずることが含まれている。… いま苦しんでいる人は他人をあわれむ余裕はないため、その余った力を他人に振り向けよ。
(具体的な対話手法はまだこれしか読んでないけど、これが良かった)
最後に、面白そう、と思った方は、私の拙い要約でも眺めてみてください。(ぜひ書籍も!)
そんな感じ。次はニーチェかな
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